弘善寺は、大永年間(一五二一~一五二七)に行蓮社念誉上人行明和尚が開山し、浄土宗寺院として約五〇〇年の歴史を有しております。この行蓮社念誉上人行明和尚は阿弥陀仏の四十八願にならって四十八箇寺の建立を発願し、旧遠賀郡穴生の地にこの弘善寺を建立なされました。

観音像 蓮
  以後、歴代に渡って高僧が薫住しており、特に弘善寺第六代の信誉存道上人は、豊臣秀吉公の朝鮮出兵の折に佐賀県呼子の名護屋城へ向かっていた徳川家康公にお念仏を授けた逸話が残っております。この信誉存道上人は徳川家康公と深い親交があった増上寺第十二世の観智国師存応上人の弟子であり、江戸時代元禄年間の史料(『浄土宗寺院由緒書』)には、存道上人について詳細な記事が書かれています。この記事によると、「九州に下向した家康公が黒崎の宿場に泊まったとき、出国以来久しくお念仏の教えを受けていないので、浄土宗の僧侶に会い念仏を受けたいと申し出たところ、家康公と以前から懇意にしていた存応上人の弟子にあたる存道上人が穴生の弘善寺にいるという話を聞き、早速呼び出し、茶屋の原にて出会い、念仏を受けた」と伝えられています。また、この時の話について『甲子夜話』という書物では、家康公が出陣前なので馬上で念仏を受けたいと申し出ると、存道上人は仏法にも規則があり、念仏は上から下に授けるものであると言ったそうです。すると家康公は存道上人を岩の上に立たせ、自分は馬上において念仏を受け、非常に満足し、存道上人に短刀を与えたとも伝えています。

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  また弘善寺は本年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で黒田家二番家老として活躍する井上九郎右衛門こと黒崎城主であった井上周防之房公ゆかりの寺院でもあり、寺宝の什物として井上周防之房公・同御内室・同御息女の御位牌をお祀りすると共に、井上家系図、櫛橋家系図を附した井上周防之房公御内室の肖像画、井上周防之房公・同御内室向かい合った肖像画が伝わっており、本堂裏手には井上周防之房公御内室・同御息女の墓所がございます。当時、一万石以上が大名であった時代に、井上周防之房公は黒田藩より一万六千石を拝領しております。この井上周防之房公より寺領二十三石と山林二万五千坪の寄進を受け、現在の弘善寺の基盤が成されました。

  その後、近世には旧筑前国浄土宗中本山となり多数の末寺を統括し、近代以後も九州を代表する浄土宗の名刹寺院・念仏根本道場として、ゆるぎなき歴史と伝統と格式を今日まで脈々と伝えております。